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長尾大隈守(ながおおおすみのかみ)一族の墓

ページID:0004911 更新日:2025年2月17日更新 印刷ページ表示

長尾大隈守一族の墓の画像

〈所在地〉まんのう町長尾(ながお)

 西佐岡(にしさおか)にある五輪塔(ごりんとう)は長尾大隈守の墓と伝えられている。
 南北朝時代の三野郡(みのぐん)筥の御崎(はこのみさき、現在の三豊市詫間町箱)の領主海崎元高(みさきもとたか)は貞治(じょうじ)元年(1362)の白峰合戦の功により、細川氏の被官(ひかん)として応安(おうあん)元年(1368)正月に西長尾城に移り、氏を長尾と改め代々大隈守を称した。長尾氏は天正(てんしょう)7年(1579)4月に侵攻した長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)と和睦(わぼく)した。
 一族の墓と伝えられる3墓の五輪塔は火輪(かりん)などに古い様式を残し貴重である。